2015年12月02日10時00分

大好きだから迷わずこの道を進んでゆきます。 小林綾子

木村政雄編集長スペシャルインタビュー

小林綾子

大好きだから迷わずこの道を進んでゆきます。







「母ちゃん! 母ちゃん! 母ちゃん!」「父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!」数えで七つのおしんが、口減らしのために奉公に出される。イカダに乗って川を下ってゆくおしんと、川べりに立つ母、父との別れのシーンに、多くのファイブエル世代は涙したことだろう――。一九八三年、日本中を席巻した〝おしんブーム〟。あの少女を演じた女優・小林綾子が、おしんとともに成長した三二年間を縦横無尽に語る。




小林 綾子(こばやし・あやこ)1972年8月11日、東京都生まれ。女優。東映児童研修所に5歳で所属。1983年、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』(橋田壽賀子原作・脚本)でヒロインの少女時代を熱演し、“おしんブーム”を巻き起こす。1984年、『序の舞』で映画デビュー。1992年、『流水橋』(松原敏春作・芸術座)で舞台デビューを果たす。 1995年、立命館大学文学部英米文学科を卒業し、以後は女優業に専念。時代劇等の舞台、映画、ドラマなどで幅広く活躍している。2007年には『ヘレンケラーを知っていますか』で映画に初主演。代表的な作品にドラマ『剣客商売』『渡る世間は鬼ばかり』や舞台『おしん』『天璋院篤姫』など。金子みすゞの詩や坂本龍馬の手紙の朗読なども行っている。趣味・特技は旅行、登山、ピアノ、クラシックバレエ、ソシアルダンス、日舞、茶道など。
連続テレビ小説『おしん』1983年放送
写真提供 NHK




木村:小林さんが東京のお生まれと知って意外な感じがしました。京都だったら納得できるんですけどね。

小林:えっ!? やはり、古風のイメージがあるということでしょうか?

木村:そうですね。私自身、無意識のうちに「おしん」と小林さんを重ね合わせて見てしまってたんだと思います。『おしん』は、日本がバブル景気に向かっていく一九八三年四月から八四年三月まで放送されたNHK朝の連続テレビ小説で、主人公のおしんは一九〇一年、山形県の貧しい小作農の生まれ。貧しさゆえに小学校にも行けず、七歳で米一俵と引き換えに奉公に出されますが、忍耐と努力と人間力で苦難を乗り越えて、やがてスーパーマーケットの経営者になるという物語でした。日本中が涙したドラマでしたが、そもそも、小林さんが『おしん』に出演されたきっかけは何だったんですか?

小林:お話しすると長くなるんですが、三歳の頃、子ども番組の中で女の子がチュチュを着てトウシューズを履いて踊るシーンがあって、「自分もやりたい」とバレエ教室に入ったんです。ところが、そこはモダンバレエ教室で、いくらやってもトウシューズが履けないので、辞めてしまったんです。そんなとき、母が東映の児童劇団でもバレエのレッスンを受けられると聞いてきて、五歳のとき東映の門をくぐりました。

木村:ご自宅は東映東京撮影所の近くだったんですか。

小林:そうなんです。練馬育ちですから。ところがその劇団に入ってみると、演劇や歌のレッスンが中心で、バレエといっても、お芝居のための体操みたいなもので、やっぱりトウシューズは履けなかったんです。結局、クラシックバレエ教室はまた別のところで始めました(笑)。でも、父が「始めたことをすぐ辞めるものではない」と言うので劇団のほうは続けることにしました。三カ月目くらいから、子ども番組などに出演する機会はありましたが、私はあくまでも習い事の一環として入ったので、当初は女優さんになりたいとか、まったく無かったんです。でも五年経った頃、NHKのオーディションのお話があって、何人かの女の子と一緒にNHKに連れて行かれて、「まさか選ばれないだろう」と思っていたんですが、おしんの少女時代を演じることになったんです。



木村:オーディションは確か五次審査まであったんですよね。小林さんの評価されたポイントはどこにあったと思われますか?

小林:この間、プロデューサーの小林由紀子さんにお会いしたとき、四次選考に残った五人について伺ったんです。すると三人の方は都会的なハキハキした女の子で不合格になり、素朴で、じっくり型の雰囲気の私ともうひとりが残ったそうです。実は、もうひとりの方が本命だったらしいんですが、その方は人気子役でスケジュールが合わなくて、結果二番手の私に決まったということでした。

木村:おしん役に出会ったのは運命だったんですよ。しかし、これほどわれわれの脳裏に焼きついている少女時代のおしんが、画面に登場したのはわずか六週間だったというのは意外でしたね。

小林:NHK開局三〇周年記念ドラマということで、一年間の放映だったんですが、子役が六週間、田中裕子さんが八カ月くらい、後は乙羽信子さんが演じられました。私にとっては六週間でも大変。初めていただいた大役ですし、橋田先生のドラマのセリフは長いですし、山形弁の方言も覚えなくちゃいけない。台本にカナを振ったり、セリフ合わせしたり、健康管理をしてくれた母と二人三脚でなんとか乗り切りました。

木村:その結果が平均視聴率五二・六%、最高視聴率六二・九%。「オシンドローム」などと呼ばれる社会現象を巻き起こして、NHKには「おしんに食べさせてほしい」といってお米が送られてきたり、「おしんに渡してほしい」といって現金書留が届いたり大騒ぎだったらしいですね。

小林:視聴者の方にお会いすると、「寒かったでしょ」とか「よく我慢したねぇ」と声をかけられました。皆さん、ドラマと現実の区別がつかないほどに感情移入をされていました。それにしても、おしんが生きたのは何百年も昔ではなく、せいぜい祖父母や曽祖父母の時代の話というのが、子どもながらに驚きでした。

木村:いまだに途上国などで再放送されて大変な人気だといいます。『おしん』には、そういった人々を励まし勇気づける、すごいパワーがあるんだと思います。

小林:そうですね。これまでに八二の国と地域で放送されました。みんなが一生懸命になって作った日本の作品を、一〇億人を超える海外の方が観て楽しんでくださって、日本のことを知るきっかけになったのは、出演者のひとりとして、とてもありがたく思います。



初舞台で鍛えられ、
〝おしんの子役〟から大人の女優へ




木村:しかし、それだけ国民的な番組となると、小林さんにおしんのイメージが貼り付いて、なかなか次のステップに行けなかったということはないですか?

小林:よく聞かれるのですが、私の中では、いたって自然で、そんなにプレッシャーを感じることはありませんでした。年齢とともに、いろんな役もさせていただいていますし、むしろ代表作があることが、とてもありがたいですね。

木村:そうですか。その後、地元の中学、高校、京都の立命館大学に進まれたわけですが、もの静かに見える小林さんは、実は運動神経抜群で活発でいらっしゃるんですよね。

小林:運動は大好きです。中学校では軟式テニス、高校では器械体操、大学では硬式テニスをやりました。子どもの頃から、おてんばで、足がめちゃくちゃ速くて、すばしっこかったんです(笑)。いつもリレーの選手をやっていましたし、ハードルが得意。ただ、瞬発力はありますが、持久力は無いんですけどね。

木村:それにしても東京ではなく、どうして京都の大学へ行かれたんですか?

小林:木村さんは京都のご出身で、同志社大学をご卒業でしたね。私は関西のことはよく分からなかったんですが、大阪でもなく、神戸でもなく、京都に住めたのはよかったと思っています。関西弁のカルチャーショックは大きかったのですが、仕事の上でも大いに役立っていますよ。

木村:京都弁も、山形弁も、標準語も話せるし、こんな強い武器は無いですね。

小林:そうですね。よく、〝バッタもん〟と言われましたけど(笑)。

木村:しかし、京都の人ってどうでした? 冷たくされたりしませんでしたか?

小林:学生には親切でやさしかったですよ。京都は学生の人口密度が日本一高い町ですよね。留学生も多くて、私も二回生のときに海外セミナーでアメリカのオクラホマ大学へ行ったり、帰国後は留学生をサポートするボランティア活動に参加したり、とても楽しかったですよ。

木村:大学に通っている間も、お仕事はなさっていたんですか。

小林:学業の合間でしたけれど、やっていました。京都・太秦での撮影もありましたし、初めて舞台をやらせていただいたのが二回生のときで、これは生涯忘れられない経験になりました。

木村:森光子さん・山岡久乃さんの舞台『流水橋』ですね。

小林:はい、私はこの初舞台で、山岡久乃さんに育てていただいたんです。森さんは、私がいろんな人から演技指導を受けると混乱するとおっしゃって、演出家も、私を山岡さんに託してくださったんです。毎日、居残り稽古でしたが、当時は「してくださって」ではなく、「なんで私ばっかり」という気持ちもありました。映像の世界では、瞬発力でパッとできれば、後は編集で何とかなります。しかし、舞台は生身の勝負なので、できる・できないが、舞台上の自分の肌に直に伝わってくるんです。あまりにも自分ができないので、山岡さんが、セリフの言い回しから息継ぎまで、毎日、公演が終わると「台本持って楽屋へいらっしゃい」と言って、鍛えてくださいました。当時は自分ができないことが歯がゆいし、それを指摘されるのも面白くない。でもどこかで、言っていただけることに感謝している自分がいました。ただ、いまは先輩が何か言うと、いじめのようになってしまうこともあるので、誰もあまり言わなくなってしまいましたね……。私は先輩方から色々と丁寧に教えていただくことができて、とても幸せな時代だったなと思います。



女優として生きる覚悟と
第二の代表作『剣客商売』へ




木村:そうやって大人の女優さんへと成長を遂げられたわけですが、大学を卒業されるときは、就職とか、迷いはなかったんですか。

小林:大学に入るときは、卒業までに何か自分がやりたいことが見つかれば、そちらの方向に進んでもいいかなと思っていたんです。三回生になると周囲が就職活動を始めて、自分はどうしたらいいのかなと迷った時期もありましたが、友人に「好きなことができていいよね」って言われて、「あ、そうか!」と思いました。「私には、もう、いただいている道があるんだ!」と。これを続けていくのは確かに幸せなことだと思いました。当時は大卒女子の就職は〝氷河期〟といわれる時代で、みんな苦戦していましたし、子どもの頃からずっとやってきたことをここでゼロにしてしまうのはもったいないとも思いました。何より、この仕事が「好き」というのもあって、この道を進んでいこうと決めたんです。

木村:そして、小林綾子第二の代表作となる『剣客商売』(池波正太郎原作・藤田まこと主演/フジテレビ)へと続くわけですね。また、京都と縁が繋がりました。

小林:はい、二五歳くらいだったと思いますが、とてもうれしかったです。

木村:『剣客商売』は、老剣客の秋山小兵衛を主人公に、後添いのおはる、息子の大治郎、女剣客の佐々木三冬らが江戸を舞台にさまざまな事件に遭遇し、活躍する時代小説ですが、藤田まことさん(故人)演じる老境の小兵衛と小林さん演じる四〇歳も離れた女房おはるの雰囲気がなんとも素敵でいい味を出していました。結局、一二年ぐらい続いたんですよね。いまだに私は時代劇チャンネルで観ていますから、小林さんというと、おはるさんのイメージなんです。

小林:おはるは天真爛漫で、天然の明るい雰囲気がいいですね。私の地に近いのか、演じていてまったく違和感が無くて、とても楽しい役なんです。また、藤田さんの役作りも、私にとってとても勉強になりました。「こんなのはどうでしょう?」と提案すると、それ、いいんじゃないの、という感じ。拠点になっていた京都・嵯峨野の家が、またすごくいいところでした。

木村:あれは『剣客商売』の撮影のために造られたんですよね。

小林:そうなんです。フジテレビさんが原作の鐘ヶ淵の設定で造られたもので、「日本の時代劇を、お金をかけてもいいから、きちんといいものを作ってほしい」というお話だったと、藤田さんがおっしゃっていました。家を一軒建てて、竹林が奥にあって、手前に小川が流れていて、のどかで、私はあそこに行くと、ほっとしました。せみが鳴いていたり、川のせせらぎが聞こえてきたり……。

木村:おはるが川で船の櫓を漕ぐところも印象的でした。あれはご自分で?

小林:あのシーンは滋賀県の琵琶湖の先の西の湖で撮影していたんです。水郷めぐりの女性が、私と同じ衣装を着て、吹き替えで漕いでくださっていたんですが、一〇年も経つと自分で漕げるようになるんです。大変なのは、櫓は止めるのが難しいんです。藤田さんが乗っていらっしゃって、私が漕いでいくときに、西の湖は葦が多いですから「はい、カット」と言われても止まれない。「藤田さん、ごめんなさい」と言って群生している葦の中へつっこんでしまったこともあります。

木村:やはり、小林さんは川に縁があるのかな。おしんも川から奉公に行きました。

小林:そうですね。おしんはイカダで川を下って行きました。

木村:話は変わりますが、うちの犬は「小太郎」(小兵衛の初孫の名前 )っていうんです。『剣客商売』から付けたんですよ。

小林:そこまで熱心に観てくださって、うれしい限りです。どんなところがお好きなんですか。

木村:やはり藤田さんのユーモアと凄みのある演技と、明るくてちょっと天然っぽいおはるさんの掛け合いがいいですね。

小林:ありがとうございます。藤田さんはキャストはもちろん、スタッフをとても大事にされる方で、スタッフも藤田さんが大好き。チームワークで支えてひとつのいいものを作る、そういう結束力がありました。また、藤田さんは、ちゃんこ鍋がお好きなんですが、ちゃんこ鍋パーティーを撮影所内で定期的に開いて親睦を図るんです。そういう時間はとても大事だったなと感じます。



明治座『かたき同志』
作/橋田壽賀子
演出/石井ふく子
出演/藤山直美 三田佳子 小林綾子
金子貴俊 橋爪淳 沢田雅美 他
12月6日(日)までは明治座で公演されます。
(問明治座チケットセンター TEL.03-3666-6666)
12月9日~12月26日はツアー公演(札幌、 盛岡、
秋田、福島、仙台、松本、新潟)が始まります。
詳しくは、明治座HP(http://www.meijiza.co.jp)で
ご確認ください。


2015年12月5日公開!
日本・トルコ合作映画『海難1890』
Ⓒ2015「海難1890」製作委員会
配給/東映 企画・監督/田中光敏
出演/内野聖陽 ケナン・エジェ
忽那汐里 アリジャン・ユジェソイ
小澤征悦 宅間孝行 大東駿介
渡部豪太 徳井 優 小林綾子
螢 雪次朗 かたせ梨乃 夏川結衣 永島敏行 竹中直人 笹野高史 他



木村:演技などで、藤田さんからアドバイスはあったんですか。

小林:演技指導ということはなかったんですが、二人が仲がいいというのを、どう表現するか。江戸時代の話なのに、藤田さんは、おはると手を繋ぐんですよ(笑)。

木村:あはは。そういえば、そんな、かわいらしいシーンがあったかな(笑)。さて小林さんも四〇代。いま、役者さんとして難しい年代ではないですか?

小林:母親役もけっこうあるのですが、顔が童顔なので、まだ長い年代を演じるお母さんというのは、ちょっと難しいのかなと思います。もう少しすれば、また幅も広がってくるかなと思うのですが……。

木村:やはり三つ目の代表作に向かっていかないといけませんからね。

小林:元・吉本興業の敏腕マネージャーと呼ばれた木村さんとしては、どうなんでしょうか。こういう年代は難しいですか。教えてください!

木村:三〇代後半から四〇代前半は難しいですね。それと、小林さんは悪女とか、意地悪とかできないお顔立ちですよね。

小林:でも、けっこう、サスペンスでは人を殺したりしてるんですよ(笑)。最高記録が、おととしの一二月だったか、二時間ドラマを何本かやらせていただいて、一カ月で六人も……。

木村:へえ、そうなんですか!? 五〇歳を超えたら、きっと、いい役が来ますよ。

小林:はい、いい役に巡り逢えるように、日々精進いたします!




時代劇の復活を願い
息の長い役者さんを目指す


木村:ところで、小林綾子さんのお名前ってご本名なんですよね。

小林:そうなんです。おしんの最終審査に合格したときに、マネージャーさんから「名前はどうしますか、芸名を付けますか?」と聞かれたんですが、子どもですから「とんでもないです」って感じだったんです。でも、あんなに反響が大きくなるんだったら、芸名を付けておいてもよかったかなあ。

木村:プライベートと仕事と、スイッチが切り替えられますよね。もう、ここまできたら、これで行くしかないでしょうけど。今後は、どういった役柄を演じていきたいですか?

小林:できれば単発ではなくて、長い時間をかけて役作りしていけるような、やっていくうちに役も自分も成長できるような役柄に挑戦したいですね。

木村:そうですか。私が思うのは、小林さんには絶対、時代劇が似合いますよ。時代劇のシリーズものをやってもらえると、時代劇ファンとしてはこれほどうれしいことはないです。

小林:時代劇、本当にいいですよね。日本人である限り、日本の古きよき、きちんとした形の時代劇を、若い人たちに伝えていきたいと思っています。京都に来ると、いつも危機感に襲われるんですよ。いま、若い人たちが引き継がないと、時代劇は本当に無くなってしまいます。いまの技師さんたち、まだ大先輩がやっていらっしゃいますけれど、次の世代を育てなければ、終わってしまう。もっともっと時代劇を増やしてほしいですね。

木村:同感です。太秦のかつての賑わいを知っている私としては、時代劇の灯を消してはいけないと思っています。視聴率が低いとか言われますが、時代劇のファンは多いんですから、実際はたくさんの人が観ていらっしゃる。最後に、座右の銘、モットーをお聞かせください。



小林:いつも念頭においているのは「継続は力なり」です。何でもそうですが、あきらめたら、そこで終わり。あきらめずに努力をすれば、終わらない。勉強でも仕事でもお稽古事でも、一回スタートしたものは、できる限り、長く続けることで、その先に成果が現れるのかなと思って取り組んでいます。

木村:それでも、つらいことがあったときはどうされるんですか? 例えば、どんなに努力を重ねても、監督や先輩からダメ出しをされるとか、落ち込んだりすることも、きっとあったでしょう?

小林:そうですね。口で言うのは簡単ですが、実践は難しいです。どうやってもダメなときは、家で寝るとか、友達と話すとか、パッと気晴らしすることも大切な気もします(笑)。

木村:小林さんの「おしん」「おはる」に次ぐ代表作を心からお待ちしています! 本日はありがとうございました。



対談後記

「おしん」命名の由来は、「辛抱に耐え、真心を持って人を信じ、常に新しいことに向かって前進する、芯の強い女」だと聞くが、この日お目にかかった小林綾子さんは、まさにそれを体現しているかのような人であった。『おしん』に出演した後は、仕事を控え目に、高校も都立の進学校を選び学業優先を貫いた。その後、「同世代の人たちと同じスタートラインに立ちたい」と、京都の立命館大学の英文科に進み、一般の学生としてキャンパスライフを謳歌した。結果として女優業を選んだものの、その生き様は堅実そのものである、一時の人気に酔わず、その後着実にキャリアを重ねた小林さんが、世阿弥がいう「まことの花」に変わるのは、そう遠くのことではないような気がする。



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