2015年04月07日17時10分
■愛犬の死 室井佑月
愛犬の死 室井佑月
息子が亡くなった。あたしがお腹を痛めて生んだ子のほうじゃなく、愛犬だ。フウタ(愛犬の名)が死んだ。
東日本大震災の前の年にペットショップから連れてきたので、まだたったの5歳だった。
それでもあたしはどこかで予感していた。この子は長生きしない、と。
ペットショップから連れてきて7日後、心臓の手術をすることになり、2年前にはヘルニアの手術もした。たった5歳で全身麻酔の大掛かりな手術を2回もするはめになったフウタは、とても身体が弱かった。
ご飯は残す、動きまわらず寝てばかりいる、季節の変わり目に皮膚病になる。今年の皮膚病がかなり酷く、自分で掻きむしった場所は、なかなか瘡蓋(かさぶた)にもならなかった。
最後は一緒にいられたのが救いだ。あたしがいるときに、フウタはわざわざ最後をとっておいたような感じだった。
いつもならあたしが仕事から帰ってきても、寝ていて首だけ起こすフウタが、その日は居間のガラス扉のところまで出迎えにきてくれていた。
夜中、トイレに起きたとき、倒れているフウタを見つけた。倒れているフウタの息は荒かった。あたしは自分の布団を居間に運んで、添い寝した。フウタの頭を撫でながら、
「朝になったら病院につれていくから、だから、頑張れ」
そう声をかけたが、もう聞こえていないようだった。
なぜ、倒れるほど身体が悪くなっていたフウタが、その日はあたしを居間のガラス戸のところまで出迎えにきたのだろうか。今考えても不思議だ。
前日まで普通に見えたフウタ。死ぬほど弱っていたことに気づかなかったのは、飼い主の責任だろう。
フウタがいなくなってから、フウタはうちの子になってよかったのだろうか、そんなことばかり考える。遺体をペット火葬屋に引き取ってもらい、居間に置いてあったサークルを片付けて、涙が涸れてから、とくにだ。
我が家はあたしと息子、そしてフウタという、二人と一匹の暮らしだった。息子は2年前から中高一貫校の寮のある学校へ入り、あたしは仕事で日中家を空けることが多かった。
身体が弱く一日中寝てばかりいるフウタだったが、だれかと一緒にいたかったかもしれない。
フウタは横になりながら、いつもあたしの動きをちらちらと眺めていたっけ。
寂しい。家にいても、あたしを追うフウタの視線がない。
あたしは息子にフウタの死を知らせようと、寮に電話をかけた。交換台を通して、息子が電話に出た。
「なんだよ」
息子がぶっきらぼうに答える。
「ん……」
あたしはなぜか返事に詰まってしまった。
「用がないなら、切るよ。俺、忙しいんだよ」
「わかった」
通話が切られた。結局、あたしは息子に、フウタの死を伝えられなかった。みんなで使う寮の電話は、長話してはいけない。息子の弟分だったフウタの死を、簡単に完結に伝えるのは難しい。
息子は来週、春休みで帰郷する。その時に、フウタの話を、二人でおもいきりしようと思う。泣きながら、楽しかった思い出は笑いながら。身近で起きた死という悲しい現実を、語り合える仲間がいてよかった。
そういえば4年前、母が死んだ時、小学生だった息子は葬式で、
「もう婆ちゃんと話すことできないね」
そういったんだった。息子のその言葉によって、母が死んだという現実がいきなりのしかかってきて、あたしは号泣した。母の葬式に出ているというのに、あたしにとって母の死はふわふわした夢のようなものだったから。
そして、息子は泣きながらこうもいった。
「おまえは死ぬなよ。俺が死んでも死ぬなよ」
あたしは泣きながら、首を横に振った。順番どおりに逝くのが、幸せなことなのだ。そう息子に教えたっけ?
いいや、教えなかった。そこまで頭がまわらなかった。あたしは息子を抱きしめ、
「あたしは死なない。絶対に死なない」
そういったんだった。
春休み、息子が帰ってくる。二人だけのお家は、寂しいね。でも、おまえが帰ってくるまで、ママは独りぼっちでもっと寂しいよ。
今朝、目が覚める瞬間、耳元でフウタの足音を聞いた。居間のフローリングの床を爪で蹴って、シャカシャカと円(まる)くまわっている。あたしはベッドで寝ているので、ぼやけた頭で思う、これは夢に違いないと。
けれど、こうも思った。独りぼっちのあたしのところに、出てきてくれたんだ。
イラスト:北川原由貴
室井 佑月(むろい ゆづき)
1970 年、青森県生まれ。ミス栃木、レースクイーン、雑誌モデル、銀座の高級クラブでのホステスなど様々な職を経て、97 年、「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」
コンテストに入選。以降、「小説現代」「小説すばる」などに次々と作品を発表し本格的な文筆活動に入る。『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、『piss』(講
談社)、『ドラゴンフライ』(集英社)、『ぷちすと』(中央公論新社)、『クルマ』(中公文庫)、『ぷちすとハイパー!』(中央公論新社)、『ママの神様』(講談社)などの長編・短編・
掌編小説を多数刊行。一躍、人気作家への階段を駆け上がっていく。『ラブ ゴーゴー』(文春ネスコ)、『作家の花道』(集英社文庫)、『ああ~ん・あんあん』(マガジンハウス)、
『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)などの痛快エッセイも好評を博す。現在、『ひるおび!』(TBS)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)などのテレビ番組にレギュラー出演中。
息子が亡くなった。あたしがお腹を痛めて生んだ子のほうじゃなく、愛犬だ。フウタ(愛犬の名)が死んだ。
東日本大震災の前の年にペットショップから連れてきたので、まだたったの5歳だった。
それでもあたしはどこかで予感していた。この子は長生きしない、と。
ペットショップから連れてきて7日後、心臓の手術をすることになり、2年前にはヘルニアの手術もした。たった5歳で全身麻酔の大掛かりな手術を2回もするはめになったフウタは、とても身体が弱かった。
ご飯は残す、動きまわらず寝てばかりいる、季節の変わり目に皮膚病になる。今年の皮膚病がかなり酷く、自分で掻きむしった場所は、なかなか瘡蓋(かさぶた)にもならなかった。
最後は一緒にいられたのが救いだ。あたしがいるときに、フウタはわざわざ最後をとっておいたような感じだった。
いつもならあたしが仕事から帰ってきても、寝ていて首だけ起こすフウタが、その日は居間のガラス扉のところまで出迎えにきてくれていた。
夜中、トイレに起きたとき、倒れているフウタを見つけた。倒れているフウタの息は荒かった。あたしは自分の布団を居間に運んで、添い寝した。フウタの頭を撫でながら、
「朝になったら病院につれていくから、だから、頑張れ」
そう声をかけたが、もう聞こえていないようだった。
なぜ、倒れるほど身体が悪くなっていたフウタが、その日はあたしを居間のガラス戸のところまで出迎えにきたのだろうか。今考えても不思議だ。
前日まで普通に見えたフウタ。死ぬほど弱っていたことに気づかなかったのは、飼い主の責任だろう。
フウタがいなくなってから、フウタはうちの子になってよかったのだろうか、そんなことばかり考える。遺体をペット火葬屋に引き取ってもらい、居間に置いてあったサークルを片付けて、涙が涸れてから、とくにだ。
我が家はあたしと息子、そしてフウタという、二人と一匹の暮らしだった。息子は2年前から中高一貫校の寮のある学校へ入り、あたしは仕事で日中家を空けることが多かった。
身体が弱く一日中寝てばかりいるフウタだったが、だれかと一緒にいたかったかもしれない。
フウタは横になりながら、いつもあたしの動きをちらちらと眺めていたっけ。
寂しい。家にいても、あたしを追うフウタの視線がない。
あたしは息子にフウタの死を知らせようと、寮に電話をかけた。交換台を通して、息子が電話に出た。
「なんだよ」
息子がぶっきらぼうに答える。
「ん……」
あたしはなぜか返事に詰まってしまった。
「用がないなら、切るよ。俺、忙しいんだよ」
「わかった」
通話が切られた。結局、あたしは息子に、フウタの死を伝えられなかった。みんなで使う寮の電話は、長話してはいけない。息子の弟分だったフウタの死を、簡単に完結に伝えるのは難しい。
息子は来週、春休みで帰郷する。その時に、フウタの話を、二人でおもいきりしようと思う。泣きながら、楽しかった思い出は笑いながら。身近で起きた死という悲しい現実を、語り合える仲間がいてよかった。
そういえば4年前、母が死んだ時、小学生だった息子は葬式で、
「もう婆ちゃんと話すことできないね」
そういったんだった。息子のその言葉によって、母が死んだという現実がいきなりのしかかってきて、あたしは号泣した。母の葬式に出ているというのに、あたしにとって母の死はふわふわした夢のようなものだったから。
そして、息子は泣きながらこうもいった。
「おまえは死ぬなよ。俺が死んでも死ぬなよ」
あたしは泣きながら、首を横に振った。順番どおりに逝くのが、幸せなことなのだ。そう息子に教えたっけ?
いいや、教えなかった。そこまで頭がまわらなかった。あたしは息子を抱きしめ、
「あたしは死なない。絶対に死なない」
そういったんだった。
春休み、息子が帰ってくる。二人だけのお家は、寂しいね。でも、おまえが帰ってくるまで、ママは独りぼっちでもっと寂しいよ。
今朝、目が覚める瞬間、耳元でフウタの足音を聞いた。居間のフローリングの床を爪で蹴って、シャカシャカと円(まる)くまわっている。あたしはベッドで寝ているので、ぼやけた頭で思う、これは夢に違いないと。
けれど、こうも思った。独りぼっちのあたしのところに、出てきてくれたんだ。
イラスト:北川原由貴
室井 佑月(むろい ゆづき)
1970 年、青森県生まれ。ミス栃木、レースクイーン、雑誌モデル、銀座の高級クラブでのホステスなど様々な職を経て、97 年、「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」
コンテストに入選。以降、「小説現代」「小説すばる」などに次々と作品を発表し本格的な文筆活動に入る。『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、『piss』(講
談社)、『ドラゴンフライ』(集英社)、『ぷちすと』(中央公論新社)、『クルマ』(中公文庫)、『ぷちすとハイパー!』(中央公論新社)、『ママの神様』(講談社)などの長編・短編・
掌編小説を多数刊行。一躍、人気作家への階段を駆け上がっていく。『ラブ ゴーゴー』(文春ネスコ)、『作家の花道』(集英社文庫)、『ああ~ん・あんあん』(マガジンハウス)、
『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)などの痛快エッセイも好評を博す。現在、『ひるおび!』(TBS)、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS)などのテレビ番組にレギュラー出演中。
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- 5L編集部
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