2015年05月28日17時18分

にっぽん日和 京都伏見区

にっぽん日和 京都伏見区

伏見稲荷大社の名物、千本鳥居。数千もの鳥居が立ち並んでいます。特別な願いを祈願する人の願いが“通る”もしくは“通った”お礼として奉納されたものです。


カメラ/渡邊春信 ライター/吉田彩乃 デザイン/北川原由貴 プロダクションマネージャー/池田大作 スペシャルサンクス/京都市




伏見稲荷大社は
全国3万社の
お稲荷さんの総本宮


山上から山下を朱い色でつなぐ千本鳥居。
稲荷山を象徴する朱い色は、
魔除けや豊穣の色とされています。


 伏見稲荷大社は、比叡山を最北にして始まる東山三十六峰の、南の最端に位置する稲荷山の麓にあります。711 年、御祭神である稲荷大神が稲荷山に鎮座したことに始まりました。

 「お稲荷さま」と一口に言っても、実は神道系と仏教系の2種類あります。伏見稲荷大社は神道系。伏見稲荷大社と並んで有名な豊川稲荷は曹洞宗の寺院です。仏教系には、インドの仏教の神様・荼吉尼天(だきにてん)があるのが特徴です。現在、日本には9万社弱の神社がありますが、そのうちの3分の1がお稲荷さまであり、伏見稲荷大社はその総本宮として祀られています。全国各地にある神道系のお稲荷さまは全て、伏見稲荷大社からみたま分けして広がったのです。

 「稲」という字が使われているように、五穀のなかでも、とりわけ日本人の食生活と密接に関わっている米を司る神様として崇められ、現在では五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として信仰されています。

 「千本鳥居」が有名ですが、その他の鳥居や社殿など、至る所に朱い色が使われています。朱い色はもとは鉱石から採取される水銀でできた色で、高貴な人や場所のみに使われていました。「あか」という言葉が赤・明など全てに、明るい希望を持つ気持ちを語感に持つことから、尊い神聖な存在への憧憬の色ともされています。



伏見稲荷大社では、狐は大神の御神威を信心の人々に伝えるとともに、信心の人々の願いを大神に伝える特別な霊力をもつと信じられてきました。




伏見稲荷大社の禰宜・岸朝次さん。気さくな人柄が魅力です。


伏見稲荷大社名物
「すずめの丸焼き」


 伏見稲荷大社の参道を歩いていて一際目を引くのが稲福の「すずめの丸焼き」です。五穀豊穣の神様へのお供え物のひとつであったすずめを、直会(なおらい)の席で食したことが発祥とされています。「狩猟の時期は主に冬。越冬のために脂ののった、国産の寒すずめを使用しています」と、三代目店主の本城忠宏さん。クセのない香ばしい味わいが特徴です。いなり寿司は、地元豆腐店の手揚げのお揚げを使用し、出汁、ザラメ砂糖、薄口醤油で甘辛く味付けしています。



お食事処 稲福
京都市伏見区深草開土町2-4



狐のお面の形がかわいらしい
「稲荷煎餅」


 京都の白味噌を使用した「味噌煎餅」が、伏見稲荷大社の門前で売られるようになったことから「稲荷煎餅」という名前になりました。ほんのりとした甘みと、飽きのこない味わいが特徴です。軒先でからんからんと小気味いい音を立てながら煎餅型をまわしているのは、三代目の松久武史さん。柄の部分も高温になるため、素手で持てるようになるまで3年かかったとか。初代から使い続けている狐のお面の煎餅型は現在の技術では作ることが困難で、今や貴重品です。



総本家 宝玉堂
京都市伏見区深草一ノ坪町27-1



卒業後もOBが帰って来たくなる、
ラグビーの名門校


 ラグビーの名門校として全国的に有名な京都市立伏見工業高等学校。1980 年代前半に放送された大人気ドラマ『スクール☆ウォーズ』のモデルとなったことでも有名です。当時の監督だった山口良治さんは、現在も総監督としてご健在。今年から監督に就任した松林拓さんも、かつてはこのチームで活躍したひとりです。コーチとして指導する大学生や教員もみなOB。「3年間の練習を通してチーム内での信頼関係が生まれ、卒業しても帰って来たくなるのが伏見ならでは」と、松林監督。

 現在の部員数は95名。全校生徒約500 人のうちの、約20パーセントがラグビー部です。2016年4月には、京都市立洛陽工業高校と統合し、校名も改称する予定です。伝統ある学校の名前が消えてしまうことに、松林監督は「寂しい」と漏らしつつも、「これまでの伏見のメンタリズムは継承しながら、新しいチームをつくっていく」と語っています。


放課後になると、1年生から3年生までが同じグラウンドで、共に練習に励みます。
市民農園「風緑」
京都市伏見区深草真宗院山町7-1
京都市立伏見工業高等学校
京都市伏見区深草鈴塚町13


栗のように甘く、生でも食べられる
やわらかさが特徴の筍です


 「京都 風緑(かざみどり)」代表・理事の杉井正治さんが作る筍は、ホワイトアスパラガスのように真っ白でやわらかいのが特徴です。他に類を見ない、栗のような甘さが魅力で、糖度は6.5?7.0度もあります。灰汁抜きせずに生のままでも美味しく食べられます。

 「竹林に蒔いている、炭焼きした竹チップに含まれるアミノ酸が甘みを生み出します」と、杉井さん。古くなって伐採した竹を有効利用できないかと考えたのが、始まりでした。竹チップが発酵するため、10月から12月には土から湯気があがるそう。カブトムシの幼虫の生育環境としても最適で、夏になると、杉井さんの竹林には多くのカブトムシが現れるそうです。また、多くの作り手は、7年目までの竹を使用して筍を栽培しますが、杉井さんは2年、3年ものしか使用しないことも、美味しさの秘密なのです。



水茹でした後、わさび醤油をかけて刺身で食べるのがおすすめです。

市民農園「風緑」
京都市伏見区深草真宗院山町7-1



歴史の深さを物語る、伏見の旧所名跡

 伏見には数多くの旧所名跡が残っていますが、年代の幅広さは、京都の歴史が深く長いことを物語っています。

 特に歴史の古いものは、794 年に平安京に京都を移したことで知られる桓武天皇の陵墓や、御香宮神社です。安産や子育て祈願で有名な御香宮の名前の由来は、平安時代の貞観年間、境内に香りのいい水が湧いてきたことに由来しています。

 1597 年には、豊臣秀吉の隠居所として、伏見城が築城されました。鴨川、桂川、木津川、宇治川に囲まれた伏見は水の便がいいために城下町として栄え、多くの商人や職人が集まり発展しました。この時に大阪から多くの人がこの地に移り住んだため、現在でも伏見の人々は、京都よりも大阪の気風が強く残っていると言われています。秀吉の死後、1602 年に徳川家康が伏見城を再建。家康が1603 年に伏見城で征夷大将軍に就任したのち、在位期間のほとんどをこの地で過ごしました。このことから、伏見城は「秀吉が築き、家康が完成させた」と言われており、天下人二人が関わった珍しい城とも言われています。しかし、一国一城令により、1623 年に京都は二条城を残して、伏見城は廃城となってしまいました。1964 年に、伏見城跡地の一角に天守閣が再現されました。




伏見城が廃城となった後の元禄年間、跡地に桃の木が植えられたことから「伏見桃山城」とも呼ばれるようになりました。

伏見城
京都市伏見区桃山町大蔵45





南に向かってわずか1キロも離れていない距離に、明治天皇陵もあります。

桓武天皇 柏原陵
京都市伏見区桃山町永井久太郎





御香宮33代目宮司の三木善則さん。御香宮に湧き出る「御香水」は、1985年に「名水百選」に認定されました。

御香宮神社
京都市伏見区御香宮門前町174





勝ち運と馬の神様として崇められてきて、現在は競馬ファンも多く集まります。5月5日の菖蒲の節句発祥の地としても有名です。南に向かってわずか1キロも離れていない距離に、明治天皇陵もあります。伏見城が廃城となった後の元禄年間、跡地に桃の木が植えられたことから「伏見桃山城」とも呼ばれるようになりました。

伏見城
京都市伏見区桃山町大蔵45
藤森神社
京都市伏見区深草鳥居崎町609



町名に残る歴史の跡

 大名屋敷が多く設けられた伏見には、現在「桃山羽柴長吉(ちょうきち)西町」や「桃山福島太夫南町」などの町名として、その形跡が今も残されています。江戸時代の地図と照らし合わせてみると、その区画は、大名屋敷があった場所とほぼ一致します。たとえば、「桃山羽柴長吉西町」という地名からは、羽柴秀吉の養子となり、後に鳥取藩主池田家の初代となった池田長吉(ながよし)の屋敷跡ということがうかがえます。



左)福島正則の大名屋敷跡
右)池田長吉の大名屋敷跡



城下町として栄えた伏見の土地

 城下町として栄えた伏見のなかでも、京都と大阪をつなぐ中継地的な役割を担ったのが、現在の納屋町(なやまち)でした。納屋町商店街には現在も多くの店で賑わっています。

 納屋町の近隣には月桂冠や黄桜、松竹梅など24の酒蔵が立ち並ぶことでも有名です。「伏見」はかつて「伏水(ふしみず)」とも書かれていたほど、昔から良質で豊富な地下水に恵まれてきました。「伏水」は、酒造りに適した水で独特のまろやかな風味を醸し出す源となっています。

 坂本龍馬と薩摩藩士の定宿とされた寺田屋には、龍馬が入ったとされる五右衛門風呂や龍馬を狙った銃痕が今も残り、多くの観光客が訪れます。現在の女将は薩摩出身。寺田屋に嫁いだことがきっかけで、歴史の知識はほとんどない状態で女将になってから、今年で10年。「龍馬たちが抱いた、未来のために日本を変えていこうという志を知ることができて良かった」と、今では訪れる人々に歴史を語り継いでいます。



伏見城の外堀に当たる濠川から望む、情緒ある月桂冠酒造の風景は、コマーシャルなどの撮影地などに使われてきました。
月桂冠大倉記念館
京都市伏見区南浜町247




16 代目女将の津つ幡ばた正まさ子こさん。最近では外国からの観光客も増え、1日200 ~ 300人が寺田屋を訪れています。

寺田屋
京都市伏見区南浜町263





小林呉服店2代目店主の小林満さん。納屋町商店街振興組合 理事長として、地域振興にも尽力しています。




小林呉服店
京都市伏見区納屋町110-2





木村編集長の母校、京都市立伏見南浜小学校。
57年ぶりに訪問した記念の一枚です。
京都市立伏見南浜小学校
京都市伏見区丹後町142



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