2015年08月05日10時08分

納得すれば、楽しんでやらせていただく。 里見浩太朗 俳優


表紙の撮影中の俳優の目には、
六〇年前の東映京都撮影所の様子が、
はっきりと見えているようだった。

ほら、この「俳優会館」には、
二二八名もの俳優たちが、ひしめいていてね。
まるで銀座通りのような有り様だったんだよ――。

静まり返った撮影所に、俳優の声だけが響く。
時代劇が黄金の光を放っていたあの時代を、
もう一度、呼び戻そう。きっとできるさ!




木村政雄編集長スペシャルインタビュー
里見浩太朗 俳優


木村☆里見さんは、デビュー前に何度か、重大な岐路に立たされたご経験をお持ちです。歌手をめざして上京されたわけですが、レコードデビューが内定していたのに、それを知らされず、東映のニューフェイスの合格通知が先に届いたんですよね。

里見☆そうなんです。日本コロムビアの作曲家が、僕が俳優になったのち、京都の撮影所に来て悔しそうに言いました。僕は本名が佐野邦俊というんですが「佐野君、残念だよ。きみが四月にレコードを出すことが決まっていたんだけど、まだきみには言えなかった。驚かそうという気持ちもあったし、レコードって、録音にこぎ着けるまで、本当にリリースされるかどうかが分からないところがあるからね。確定してから話そうと思っていたら、きみは俳優になってしまった。ああ、本当に悔しいよ」と。

木村☆もし、タッチの差で歌手デビューされていたら、映画、テレビで大活躍の俳優・里見浩太朗さんは誕生していなかったんですね。

里見☆東映ニューフェイスの試験は、そもそも僕が応募したんじゃないんです。僕の知り合いの娘さんのいたずらだったんです。彼女が言うには「佐野君は歌手になろうとしているけど、二枚目だから、私がいたずらで東映に応募したの」。僕に対する夢というか、少々恋愛感情もあったらしいんですけどね。その試験は朝一〇時から大泉の東映東京撮影所であったんです。西武池袋線の八時半頃の電車に乗ると、明らかに乗っている人が違うんですよ。背の高い二枚目と、どこかのお嬢様かモデルのような美男美女ばかり。大泉学園駅で二〇〇人ぐらい降りたのを見て、自分にはとても無理だと思って、ためらいながら行ったり来たりしてたんです。すると一人の女の子が「どうしたんですか」と聞いたので、「自信が無いから帰ろうと思う」と言うと、「みんな同じ気持ちですよ。ここまで来たんだから受けてみるしかないのでは?」と言われ、ようやく受けることにしたんです。

木村☆手応えはあったんですか?

里見☆全然無いですよ。いまだに、なぜ受かったのか謎なんです。

木村☆その後、また大きな岐路に立たされるんですよね。

里見☆はい。合格者は四月から俳優座の養成所に行って半年間、みっちり研修を受けるんです。八月の終わりごろ、俳優課の課長がやってきて、「きみたちは九月いっぱいでここを卒業する。現代劇をやりたい人は、大泉の東映東京撮影所へ、時代劇をやりたい人は京都太秦の撮影所に行きなさい」と言われたんです。

木村☆それって自分で決めるんですか?

里見☆そう。誰かが、「お前は、こうしろ」と決めてくれたほうが、よっぽど楽だと思いました。迷った挙句に条件を聞いたら、月給は八〇〇〇円。京都の場合は寮があって、三〇〇〇円出したら、寮で、朝晩の食事が付くと聞いて、それなら生活できるかもしれない。東京でアパートを借りて自分で食べていくとなると、八〇〇〇円じゃ成り立たないんです。つまり僕は寮の食事に惹かれて時代劇に決めたんです。

木村☆あははは。とはいえ、食べ盛りの二〇歳の選択は、結果的には大正解でした。でも、ニューフェイスに合格すると、スターへの道は約束されているんでしょう?

里見☆はじめ、僕も、そう思っていたんですが、とんでもない勘違いでした。毎日、毎日、画面に映るかどうかも分からない、通行人や駕籠屋や浪人ばかりです。つまり「仕出し」(エキストラ)なんです。当時は時代劇の黄金期で、この俳優会館に二二八人もの俳優さんがいました。それにエキストラの人、フリーの人が加わって、それは大変な混みようで、まるで銀座を歩いているような状態でした(笑)。そんな中、朝早くから、あるいは徹夜に近いような形で、仕出しをやる。忙しくて、待っても、待っても何も見えてこない。半年間、俳優座で鍛えられたのは、ニューフェイスと言ってちやほやされたのは、いったい何だったのか……。痺れを切らして同期の三人で、上の人に聞きに行ったんです。「ニューフェイスに合格したのに、いつまで仕出しをするのですか?」と。すると「みんな一からやるんだ!」と怒鳴られました。

木村☆大スターの里見さんに、そんな時期があったとは知りませんでした。

里見☆例えば、三カ月間我慢しなさいと言うのならいいんです。いつまでか分からないからつらい。京都の冬は寒いし、とうとう年末に熱を出して、それでも休ませてもらえない。ついに起き上がれなくなって医務室でレントゲンを撮ってもらうと、医者が「結核だよ」と言ったので、すぐに三カ月の休暇をもらって富士宮の実家に帰ったんです。東京の病院で改めて診てもらうと、結核は誤診で、気管支炎だったんですけどね。





時代劇俳優・里見浩太朗誕生秘話
時代劇は、黄金期から衰退期へ


木村☆それから間もなく二一歳で、映画『天狗街道』に抜擢されたんですよね。

里見☆そうですね。年が明けて昭和三二年。富士宮から帰ってきたら、お盆映画の『水戸黄門』をオールスターで撮ることになって、大川橋蔵さんの格さん、片岡千恵蔵先生の綱吉で、僕は綱吉の横に小姓役で座っていたんです。綱吉のアップが映るたびに僕も映る。すると監督やプロデューサーの間で「あの小姓は誰だ、いい顔をしているじゃないか」となったらしいんです。

木村☆そこからは、とんとん拍子ですか?

里見☆とんとん拍子というか、忙しくなりましたね。最近、たまたま昭和三三年の契約書が出てきたんです。映画一本につき、三万円の役付き手当てと、ギャラ三五万円。安いんですよ。週刊誌の『明星』とか『平凡』とかが、あおってね。人気が実力以上に出て、ブロマイドがワーッと売れて。だけどギャラが安いから、(市川)右太衛門先生も、(片岡)千恵蔵先生も、(大川)橋蔵さんも、みんな脇で、僕を使いたがるんです。だから、よけいに映画ファンは僕を見る機会が増えたんです。ギャラはちっとも上がらないのに。

木村☆昭和三三年の三五万円ってどのくらいの価値なんですか?

里見☆大卒の初任給が二万円の頃ですからね。だけど、歌舞伎から来たスターさんに比べると、ずっと安いんです。なんで、あの人たちは、仕出しもしないで、いきなり主役につけるんだろうかという、やっかみもあっただろうし、抵抗感もありました。あの人たちは子どもの頃から修業しているわけですが、やはり歌舞伎調の大げさな芝居をするし、リアリティが無い。僕なんか、時代劇は見ているけれど、高校時代は外国映画で育っているから、普通の芝居になる。それがプロデューサーには、新鮮な芝居に映ったんだろうと思います。

木村☆それから、時代劇の全盛期が過ぎて、ちょっと作るものが変わっていきますね、時代劇から任侠映画に……。

里見☆東映の時代劇も、いわゆる片岡千恵蔵、中村錦之助という、スターシステムの映画は、もうはやらなくなった。だから『十三人の刺客』とか『十七人の忍者』とか、集団路線が出てきます。それも、二、三年で終わり、とうとう時代劇はだめだと、あきらめた。次に出てきたのが、北島三郎さんの『兄弟仁義』とか任侠路線。着物を着た、カツラの無い現代劇です。僕は着物を着てピストルを持つのは自分のキャラクターを生かしきれない気がして、いやだったんです。そんな頃、時代劇がテレビで復活するんです。錦之助さんも橋蔵さんも、テレビに行くのはいやだと抵抗されましたが、これからはテレビの時代だからと説得されて、『銭形平次』が始まったんです。これがすごい視聴率で、時代劇は、映画では廃れても、時代劇ファンは多いということを証明しました。僕も、はじめは、さびしい気持ちでテレビ時代劇をやっていたんですが、各局が競うように時代劇の視聴率をとるようになって、『大岡越前』『水戸黄門』が始まり、『暴れん坊将軍』『必殺』が始まり、テレビ時代劇が盛り上がっていきます。そんな中で、僕は『水戸黄門』の助さんをずっとやっていました。

木村☆助さんは、一六年ぐらいおやりになったんですね。

里見☆そうです。そのとき、テレビ東京の『大江戸捜査網』を、助さんとダブってやっていたんです。五年間、火・水・木・金が京都撮影所。土・日・月が東京撮影所、時に火曜朝までやって、朝一番の新幹線に乗って京都へ。このサイクルで五年が過ぎて、助さんだけになったら、今度はテレビ朝日が『長七郎天下ご免!』をやってくれという。一年半が過ぎ、次に日本テレビに移ったんです。おかげで僕は年末時代劇スペシャルを五年間、『忠臣蔵』(大石内蔵助)、『白虎隊』(西郷頼母)、『田原坂』(西郷隆盛)、『五稜郭』(榎本武揚)、『源義経』(武蔵坊弁慶)、『風林火山』(山本勘助)を最後に『樅ノ木は残った』(原田甲斐)までやらせてもらって、これは僕の時代劇俳優としてはものすごい財産になったんです。時代劇のヒーローをこんなに何本もやったのは、時代劇の歴史の中で僕しかいない。とてもラッキーだったんです。



さいころの浅を演じる
里見浩太朗さん
『さいころ無宿』
(1960年)配給:東映


時代劇は日本人の心のふるさと
時代劇で子どもの心を育もう


木村☆それは素晴らしいですね。ただ、どう見ても西郷隆盛だけは、里見さんには似合わないような気もするんですが……?

里見☆全然合わないですよ。でも、『忠臣蔵』をやって、ものすごくうれしかったんです。誰でも、俳優になったら一度は、大石内蔵助をやってみたいと思うもの。日本テレビの専務に「来年は何をやるんですか」と聞いたら、「西郷隆盛」と。「キャスティングは?」と聞いたら、「きみがやるんだよ」と。「冗談じゃないですよ、上野の西郷さんの銅像を見てください、僕とはまるで違う」と言ったが、「いや、きみがやるんだ」と。体重を六二キロから、七八キロまで増やして臨みました。毎日五食も食べて。でも、全然、追いつかない。それで口に含み綿を入れ、綿を着て、詰襟をきつめにとめて、芝居をしたんです。

木村☆『風林火山』の山本勘助はどうですか?

里見☆千恵蔵先生に「山本勘助をやってください」と言ったことがあるんですが、時代劇が斜陽になっていて実現しなかったんです。そんなことがあったんで、年末スペシャルを、ずっとやらせてもらって「今度は風林火山をやらせてください」と初めて、こちらの希望を言ったんです。

木村☆そういえば里見さんのご先祖は、有名な武将だったんですよね。

里見☆あの当時は知らなかったんですが、父方の佐野家は山梨県にあり、初代の佐野光次は戦国時代に、武田信虎に仕えた武将だったんです。代々武田家の家臣として仕えたそうです。

木村☆縁があったということなんですかね。誰もが憧れる時代劇で、重要な役どころを引き受けられて、それから『水戸黄門』に戻られ、助さんから合わせて二五年。黄門さんは九年間演じ続けられました。




2002年にスタートした『水戸黄門』第31部の5代目水戸光圀役
(C) C.A.L


里見☆助さんは若いときの役で、黄門は、年を取ってからしかできない役。芸能界で生きてきて、水戸黄門ができる年まで活躍できたということの、うれしさを感じますね。やはり、みんな若いときはスターになれる、二枚目もできる。でも、四〇代、五〇代で活躍できるかというとなかなか難しい。水戸黄門も、東野英治郎さんがやって、西村晃さん、佐野浅夫さん、石坂浩二さん、そして僕が五代目です。

木村☆先日(六月二九日)、『水戸黄門スペシャル』を拝見しました。よかったですよ。

里見☆落ち着いた黄門ができた気がしました。やっと老けたご老公というか、ご隠居さんになれたなという実感がありましたね。

木村☆最近おやりになった、警視総監役や大学教授とかもいいんですけど、やっぱり、時代劇にお出になっている里見さんは格別なものがあると思いますよ。

里見☆ありがとうございます。時代劇チャンネルとかBSの時代劇はけっこう、視聴率がいいんですよ。やはり、時代劇ファンは多いと思います。

木村☆日本は超高齢社会に入りました。誰にも分かりやすくて痛快で、勧善懲悪の時代劇を、もっともっと作ってほしいですね。

里見☆視聴率が低いとか、制作費が現代劇より高いとか言って、時代劇を作らなくなったんですが、そんなことはないんですよ。

木村☆それは、京都撮影所こそがやらないといけないんじゃないですか。

里見☆そうですよ。視聴率じゃなくて、時代劇を待っている人に届けなきゃいけないんです。日本の文化なんですから。どうか文化の灯を消さないでほしいものです。実は時代劇小説も、けっこう売れているんですよ。若い書き手も増えています。『水戸黄門』なんて言うのは、おじいちゃんの膝の上で、孫が見ていた。そこに、道徳や修身、夫婦の愛情、兄弟の愛、師弟の愛というものを見せていた。おじいちゃんが「なっ、分かるか。弱い者はいじめちゃいけないぞ。年配の人には、敬意を表さないといけない」とか教えながらやってきたのが無くなった。学校が荒れているとか、いじめられて不登校になっているとか、そんなニュースが流れるたびに、いまこそ、時代劇を作ってほしい、自分が作らなきゃと強く思いますね。

現代劇で新境地
里見家の天下は?


木村☆四年前、テレビの時代劇で、『水戸黄門』が終わったときは如何でしたか?

里見☆これで、本当のご隠居さんになるかなと思いました。これから、どうやって暇をつぶすだろうかと思ったんですが、フジテレビから『リーガルハイ』のオファーをいただいて、「里見さん、面白いですよ、あれは何ですか」と話題になりました。この間も映画村で仕事をしていたら、「あ、リーガルハイの服部さんがいる」と。時代劇の格好をしていたのに、黄門さんじゃなくて、服部さんなんです(笑)。

木村☆確かに現代劇の里見さんには、ちょっとお茶目で、とぼけた面白みがありますよ。

里見☆ありがとうございます。ですから、黄門さんが終わっても、けっこう、忙しいんです。いま、歌舞伎俳優の(片岡)愛之助君のお父さん役をやっています。

木村☆ふつう里見さんぐらいの大物になると、依頼する方も脇役だとオファーするのを躊躇するんですが、里見さんなら分かってやってもらえるんじゃないかという安心感があるんでしょうね。

里見☆僕もそれを感じます。だって僕は、もともと仕出しから始めた人間なんですから。野村克也さんは、南海ホークスのテスト生として野球界に入り、ご自分のことを月見草とおっしゃっていました。僕も雑草なんです。どんな役でも、台詞が一言でも、自分が納得すれば、楽しんでやらせていただく。もうすぐ七九歳になりますが、これからも、そういう仕事をやっていくだろうと思いますね。

木村☆ところで、「この紋所が眼に入らぬか」という決め台詞を九年間やってこられた里見さんですが、ご自宅では、どうなんですか。

里見☆うちの女房は僕より一三歳年下なんですが、家では、女房のほうが将軍様。副将軍より上なんです。ひれ伏すのは僕のほうなんですよ(笑)。

木村☆あははは。本当なんですか。黄門様より上があったんですね。

里見☆僕が撮影所から帰ると、「はい、手を洗って。はい、靴下を脱いで……」(笑)。

木村☆お酒を飲まれないというのは意外な気がしました。

里見☆酒は、まったく駄目なんです。昔、錦之助さんと共演を始めた頃、よく祇園に連れていってもらったんですが、「ビールくらい飲めるだろう」と言われ、一口で真っ赤になるのを見て「酒が飲めなくては、いい役者になれないぞ」と錦之助さん。昔の映画の時代は、夜、みんなで飲んで、みんな二日酔いで、監督まで一緒に飲んで、撮影していた、いい時代でしたね。

木村☆ほかに、飲めない役者さんっていらっしゃったんですか?

里見☆意外なところでは、若山富三郎さんですね。高倉健さんも嵐寛寿郎さんも千恵蔵先生も飲まれませんでした。

木村☆ご趣味も幅広いですよね、ゴルフとか絵画とか。

里見☆若い頃は一日中歩くのはいやだと言って、ゴルフはやめていたんですが、奥深いですね。六〇代、七〇代になると、芸能界以外の人たちの、ものの考え方とか、交際の仕方とか、勉強になります。ゴルフは紳士のスポーツといいますが、大学の教授がいたり、大企業の社長がいたり、有名なお医者さんがいたり、でもティーグラウンドに立つと、みんなフィフティーフィフティーなんです。そこがフェアーで気持ちいいんです。

木村☆これだけのポジションにありながら、まだ「勉強になる」と言われる。そんな謙虚さと好奇心を持っておられるからこそ、今日の里見さんがあるんでしょうね。里見さんには時代劇の再興もやっていただきたいんですが、八〇代になられても、更にどんな活躍をされるのかを見せていただきたいと思います。



対談後記

「その多才さに反し、自分のことを何の取り柄もないと謙遜し、特技についてたわいもない取り柄でございますと毎回述べる」。里見さんが演じた『リーガルハイ』服部役のプロフィールであるが、里見さんご本人と見事に重なっている気がする。数々の映画・テレビ時代劇に主演され、今や時代劇スターの第一人者と目される方だけに、かなりの緊張感を持って対談に臨んだのだが、それも杞憂に終わった。やはり、その偉ぶらなさ、真摯さが人の心を惹きつけるのであろう。聞けば「今までに付き合ったどんな人も、この人の悪口をいう人はいない」とか。だからこそ今も仕事のオファーが絶えないし、いい共演者にも恵まれるのだろう。スタッフに促され時計を見たら、すでに一時間半も経過していた。対談の前日も翌日もゴルフだという。酷暑のなか大丈夫なのかと心配になるくらいのタフさである。ひとしきり歓談をされたあと、愛車を駆って去っていかれる姿は、まるで映画のワンシーンを観ているかのようだった。やっぱりスターと呼ばれる人は違うよな。

里見浩太朗(さとみ・こうたろう)
1936年静岡県富士宮市出身。本名:佐野邦俊。1956年、第3期東映ニューフェイスに合格し東映に入社。翌年『天狗街道』で俳優デビュー。1958年『金獅子紋ゆくところ』で初主演。その主題歌『金獅子紋道中唄』で歌手デビューを果たす。時代劇映画の衰退とともに活躍の場をテレビに移し、『水戸黄門』第3部から2代目助さんを演じ、第17部まで約16年間務める。1970年代半ばから80年代にかけて、東京12チャンネルで『大江戸捜査網』などの時代劇作品で主演を務め、時代劇俳優の地位を不動のものにする。主演作品では主題歌も数多く担当。1985年から93年にかけて、年末に放送された日本テレビ系列の『年末時代劇スペシャル』では、最多の6度主演。2002年にスタートした『水戸黄門』第31部に、5代目水戸光圀役として復帰。2011年第43部でシリーズ終了。近年は『リーガルハイ』など現代劇のドラマでも活躍。趣味は絵画、ゴルフ。


協力/ 東映株式会社京都撮影所・東映太秦映像株式会社

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