2015年10月28日10時00分
ビジョナリーな人たち 髙倉正人 五軒屋町 世話人相談役
髙倉正人 五軒屋町 世話人相談役
昨年、212代・年番長を務めた髙倉さん
髙倉正人(たかくら まさと)
岸和田市五軒屋町出身。若頭筆頭など町会の中心となる役を担い続け、昨年、だんじり祭全体を総括する212代・年番長の大役を務めた。現在は五軒屋町の世話人として運営に携わっている。
自分の生活よりもだんじりを優先、
岸和田男子に刻まれたDNA
岸和田で生まれ育ち、だんじりへの奉公を
男子一生の仕事としてきた髙倉正人さん(56)。
昨年は、22の町、1万人以上の曳き手を統括する
だんじりの進行責任者・212代目「年番長」の大役を務めた。
現在も世話人として祭りに参加する髙倉さんに、岸和田男子の心を語ってもらった。
大手生命保険会社で、中途の入社試験を受けた時のことだ。採用になったら7月から9月まで研修があると知らされ、髙倉さんは慌てて人事課へ走った。研修は9月の何日までかと確認すると、9月10日までだという。
「ほんなら祭りにいけるな、と思ったんで、『試験、採用にしてくれて結構です』と言うたんですわ」
岸和田のだんじり祭は、毎年9月の半ば頃と決まっている。もしも研修が重なって祭りに行けなくなってしまうようだったら、髙倉さんはこの会社に入社しないつもりだったのだ。
だが、10年ほど前、髙倉さんはその会社を退職してしまう。当時40代半ばだった髙倉さんは、町の若手を取りまとめ、祭りの際にはだんじりの前後で事故防止に努める「若頭筆頭」の立場にいた。一年中、祭りがないときでも何かとだんじりに関わっていなければならず、勤務先である大阪の日本橋と岸和田との行き来が大変になってきたからだ。
「会社には『一身上の都合で』と言いましたけど、まぁ岸和田の実家の商売のこともあったし、だんじりのこともありましたし……」
奉公やから、しゃーない、と髙倉さんは当たり前のように言うが、仕事を辞めてだんじりに尽くしたところで、給料が出るわけではない。それでも自分の生活よりだんじりを優先するのが、髙倉さんをはじめ岸和田の男たちなのだ。「祭りごときで会社を辞める? 仕事ごときで祭りをないがしろにするのか!」とまで言う人がいる。岸和田の人間でなければなかなか理解できないかもしれないが、これが、岸和田の人々にとってのだんじりなのである。
物心がついた頃にはすでに、髙倉さんはだんじりに参加していた。
「気がついたら、だんじりの綱を曳いてましたわ。岸和田の子どもはみんなそう。走れるようになったら、皆だんじりに参加してます」
親に手を引かれていったわけではない。父はだんじりを曳いているし、母は、次から次へと家に訪れる親戚や知人の接待で、子どもに構っている暇などない。おのずと、子ども達だけで祭りの場へ行き、理由を考えることもなくそこへ参加していた。髙倉さんは走る方が好きで、太鼓や笛を鳴らす「鳴物」の方に参加したことはないという。この「鳴物」の音楽もまた、楽譜などはなく、子どもたちは耳にしながら自然と覚えていく。先輩たちから口承で伝えられ、祭りに参加するのと同じように自然と身につけていくのだ。
「タオルを持ったら頭に巻くし、うちわを持ったらあおがんと踊り出す。そう刷り込まれてる。それが岸和田の男なんですわ」
髙倉さんは29歳の若さで、だんじりを曳いている人々のなかでも最も重要な「前梃子」を操作する立場につく。多くの人が37歳前後でここに立つというから、異例の早さだ。だんじりは通常、400〜1000人ほどの大所帯で動かす。前梃子を操作するのは、そのなかでたった2人のみ。それぞれが右側か左側につく。前梃子は、だんじりのブレーキのような役割を担っている。だんじりの見せ場でもある、曲がり角を大きく回る「やりまわし」の場面では、この前梃子の操作が全てを管理し、その動きが旋回のきっかけをつくりだすのだ。
「前梃子一本の操作で事故が起きたり、ケガ人や死者が出たりすることもある。いわば、だんじりの要になるポジションですわ」
29歳の若さでこの重責を担ったことも異例だったが、髙倉さんは人よりも長く28年にわたって前梃子を続けた。
「普通は厄年になったら辞めるんやけど、厄払いをしながらやっとったなぁ」
そして昨年、髙倉さんはだんじり祭の進行責任者にあたる「年番長」の役を務めた。だんじりに参加する22のすべての町を統括する年番長の役は、だんじりに参加する22の町すべてに、年ごとに順番にまわってくる。町に役がまわってきたときに、ちょうどいい年頃、役職の人物が、年番長を引き受けることになっている。昨年、五軒屋町に年番長の役がまわってきたとき、その位置にいたのが髙倉さんだった。
「やりたい、とか、やりたくない、ではないですねぇ。役につけた喜びというのもない。ただ責任感だけですわ。断って他の町の人にお願いすることもできるけど、私のいる五軒屋町はこれまで一度も辞退したことがなかった。それを私の代で止めてしまうわけにもいかないから」
若頭の時でさえ仕事を辞めるほど忙しかったのだ。年番長になった去年、髙倉さんは1年のうちの200日以上をだんじりに費やした。警察との打ち合わせや、事務的なこともすべて請け負うのが年番長の役割なのだ。
家族の理解を得るのも大変だったという。髙倉さんは、妻と子ども2人の4人家族だ。
「だんじりにばかりかまけていたもんで、嫁から『そんなにだんじりが好きだったら、だんじりに曳かれて死んでもうたらいい』と言われたこともありましたね(笑)。なんとか離婚の危機を逃れた。本当は、普通に暮らしたいと思ってますよ」
と、髙倉さんは笑うが、やはり祭りのことを考えずにはいられないという。岸和田で生まれ育った髙倉さんのDNAには、だんじりの伝統が深く刻まれているのだ。
木村の視点
まだ試験曳きの日だというのに、すでに町は高揚感に包まれていた。9月スタートのカレンダーがあるくらい、岸和田の人たちにとって、「だんじり」は特別なハレの日なのだろう。この町には祭りにコミットすることでつながっている人間関係がある。「だんじり」のことになると、皆がそれぞれに一家言を持っている。ともすれば、人間関係がやや希薄になりつつある今の時代に、こんなにも地元意識が濃密な街が残っていようとは! 実に羨ましいかぎりである。市民の絆の源泉であり、誇りの所以でもある、この「だんじり」が約300年にも亘って続いてきた背景には、きっと髙倉さんのような有徳の士の「先人の志を絶やしてなるものか!」という強い意志と、弛まぬ努力があったからに違いない。
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- 5L編集部
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