2015年12月23日10時00分
ビジョリーな人たち 広島・宮島周辺海域の「牡蠣名人」
広島・宮島周辺海域の「牡蠣名人」
寺西芳明
(てらにし よしあき)
1958年、広島県廿日市市(旧大野町)生まれ。高校卒業後、日本国有鉄道に入社。1988年、国鉄を退社して現在の株式会社オオノの前身となる大野水産有限会社を設立した。広島・宮島産牡蠣の養殖から加工販売までを行う株式会社オオノ。創業者の寺西芳明さんは、常に自らのアイディアで会社を発展させてきた。
「夏はずっと海に出て作業していたから、真っ黒に日焼けしていたんですよ」
寺西芳明さんは、「牡蠣名人」の異名を持つ。
広島県の牡蠣の年間出荷量は全国出荷量の約6割を占め、その量は約2万トンにのぼる。そのうちの約1割もの牡蠣が、寺西さんが創業した株式会社オオノから出荷されているのである。牡蠣の養殖と仕入れの両方を行う株式会社オオノでは、仕入れ生産者の漁場と合わせると、宮島をぐるっと囲むようにして約50もの養殖漁場を保有している。広大な海域を持つことを強みに、牡蠣の成長時期に合わせて、餌となるプランクトンの量や潮の流れなど最適な成育条件の海域に移しながら牡蠣を育てていることが、寺西さんの牡蠣が美味しい理由のひとつである。
彼が作る牡蠣の美味しさの秘密にはもうひとつ、彼がこだわり続ける「ひと手間」がある。寺西さんは、ある程度成長した牡蠣を一度水揚げして、良質で元気な牡蠣だけをネットに入れて条件のいい海域へ移して再び生育させる「ネット漁法」を採用しているのだ。
「ネット漁法で育てられた牡蠣は、より濃厚で、身ぶりが良くなるんです。さらに、付着物のない綺麗な殻の牡蠣が育ち、飲食店などに美しい殻付きの牡蠣が並ぶことが可能になります」
こうした肉厚で濃厚な味わいの牡蠣を大量に出荷しているのが、寺西さんが「牡蠣名人」と呼ばれるようになった由来なのである。
牡蠣の養殖は、寺西さんの実家の家業だった。大黒柱であった父が亡くなったのは、寺西さんが中学生のときのこと。父の養殖業は兄が継ぎ、寺西さんは高校卒業後に国鉄に入社。車掌として数年勤務したものの、いまひとつ手応えを得られないことに物足りなさを感じる日々を送っていた。30歳で思い切って退社すると、兄のもとへ弟子入り。最初に始めたのは、牡蠣に次いで広島の名産とされているあさりの生産だった。廿日市市の水産物ブランド化推進事業の影響もあり、大野町で生産されるあさりは、近年ますます注目を集めるようになってきた。
「創業時は、一粒一粒手掘りの美味しいあさりに力を入れていました。全国的に広まり出した『大野あさり』のブランド名も、私が名付けたんです。現在の社名の『オオノ』も大野町にちなんでいます」
1991年に大野水産有限会社を設立すると、兄が生産した生牡蠣の取り扱いと、冷凍食品の製造を開始した。
「だんだん事業が広がって膨れ上がってきた頃、しびれを切らした兄に『自分でやってくれ』と言われてしまい、そこから牡蠣の養殖を始めたんです」
2004年に社名を現在の株式会社オオノに改名。大野水産有限会社は、養殖部門として残した。2006年には工場を建設。この工場で、牡蠣の洗浄、選別、箱詰めなど水揚げから出荷までの一連の作業を行うようになった。工場建設と同時に、併設する形で直売場となる売店と、獲れたての新鮮な牡蠣を味わえるレストランを開設した。国鉄時代に憧れた創造性のある仕事へと転向した寺西さんは、着実に、そして驚くべき勢いで事業を展開していったのである。
「大野あさり」の命名をはじめ、寺西さんは常に新しいアイディアを生み出し続けてきた。近年の代表例とも言えるのが、海水氷の導入だ。牡蠣の保存に海水氷を使用するという画期的なアイディアを広島で最初に取り入れたのが、寺西さんだった。
「いまでこそさまざまな工場に海水氷を作るための高価な設備が導入されていますけど、私が工場に取り入れたときは、初めてのことだから膨大なお金がかかって大変でしたよ(笑)。海水氷とは、海水を殺菌して作るフレーク状の氷です。宮島周辺の良好な海域で育てられた身入りのよい生牡蠣を、剥いてすぐに海水氷で0℃付近まで冷却します。剥き身の牡蠣をフレーク状の氷が柔らかく包むため、牡蠣を傷つけることなく、全体をしっかりと冷却保存して鮮度を保つことが可能になるのです。これにより、お客さまには剥きたてに近い形で牡蠣を味わっていただけます」
この海水氷を使って出荷しているのが、広島のトップブランド牡蠣のひとつである「極鮮王R」だ。「牡蠣名人」である寺西さんが作ったふくよかで濃厚な味わいの牡蠣を、鮮度の高い状態で他都府県に出荷することが可能になった。現在、東は東京まで、「極鮮王R」はさまざまな地域へと出荷され、寺西さんの美味しい牡蠣が広く知られるようになった。
2013年秋から販売された「極鮮王R」。広島トップブランド牡蠣のひとつであり、大粒で身入りが良く、美しい牡蠣を鮮度の高い状態で出荷している。
「おかげさまで、いまでは『広島のプレミアムトップかき』を作る9人のメンバーのうちのひとりに数えられるようになりました」
寺西さんの探究心は尽きない。
「次に出すのは、『レモンオイスター』です。広島のもうひとつの特産品が、レモン。濃厚な味わいの牡蠣に爽やかな香りのレモンを搾ると、抜群に美味しい。県産のレモンを使用して、特殊な加工技術でレモンの味がする牡蠣を開発しました。魅力溢れる広島の美味しい食材を全国の方に味わっていただきたいですね」
牡蠣のことを語る寺西さんの表情は常に明るく、まぶしい。
(右)牡蠣の殻を剥く際に使う「牡蠣打ち」
(左)広島では、牡蠣を剥き身にするプロを「打ち子」と呼ぶ。多い人は1日100㎏近くの牡蠣を剥く。
木村の視点
挨拶もそこそこに、「じゃ、行きましょうか」と寺西社長自ら操る船で広島湾を西へ。潮風をいっぱいに浴びながら、嚴島神社の大鳥居を見ているうちに宮島町に到着。コラボレートしている会社で、しばし打ち子さんたちのむき身作業を見せてもらったあと再び船に乗り、クレーンで牡蠣のたくさんついた垂下連を水揚げする作業や、身入り漁場の筏を見せてもらった。潮風に当たった顔がしょっぱかった。だがそのあといただいた取れたての牡蠣のおいしかったこと、今でもそのミルキーな味が忘れられない。寺西社長が今日あるのは「フォロワーになるまい」の一言だった。けっして能弁ではないけれど、その姿からは、「他人の真似をしていては一流になれない。自分の頭で考え、自分しかやっていないことを探す」海に生きる男のかっこ良さがうかがえた。
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- 5L編集部
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