2016年04月27日10時00分
にっぽん日和 神奈川 箱根町
にっぽん日和 神奈川 箱根町
カメラ/渡邊春信 ライター/吉田彩乃 デザイン/北川原由貴 プロダクションマネージャー/池田大作 スペシャルサンクス/箱根町
箱根・成川美術館の展望ラウンジから望む、芦ノ湖越しの富士山はまるで絵葉書のような美しさ。ラウンジの脇にはNHKのお天気カメラが設置され、空模様と共に変化する富士山の表情が全国に放送されています。写真はご案内していただいた、成川美術館の畑野博之さん。
日本初の本格的なリゾートホテル
士屋ホテルは、創業1878(明治11)年、日本を代表するクラシックホテルのひとつです。箱根駅伝の中継放送にも登場するランドマーク的な存在でもあります。外国の要人御用達として発展し、大正11年には当時の英国皇帝アルバート陛下、皇子チャールズ殿下やその後、昭和に入るとチャールズ・チャップリン、ヘレン・ケラー、ジョン・レノン一家などのVIPも宿泊をしたこともあって、逸話には事欠きません。
「本館の中でも目を引くのが、天井まで柱の高さいっぱいに彫り込まれた白い尾長鶏の彫刻です。ヘレン・ケラーさんがホテルで飼っていたお気に入りの尾長鶏を喪い、悲しむ姿を見て、再び彼女が滞在したときに心を慰めるために彫られたと言います」
エピソードを紹介していただいた広報マネージャーの趙昶賢さん。
富士屋ホテル
箱根町宮ノ下359
都心から1時間半、自然豊かな温泉街
日本有数の本格的登山鉄道
険しい山道を登る箱根登山鉄道は、様々な工夫が凝らされています。最も特徴的なのは坂道でも滑らないように、車輪とレールの間に水を撒きながら走行すること。最も急な部分では3両編成の登山電車で、先頭の運転台と最後尾の乗務員室の高低差は約3.6m。車両の力だけで登る山道の中では日本一の急勾配です。写真右は、箱根登山鉄道の強羅駅長で強羅管区長の大木賢治さん。
新宿からロマンスカーで約1時間半。箱根湯本駅は、山々に囲まれた自然豊かな土地です。春になれば桜が咲き乱れ、秋は紅葉。駅のすぐ傍に流れる早川など、都会に隣接する温泉街とは思えないほど風光明媚な景色に心癒されます。
箱根湯本駅の周りには、近年オープンした最新の箱根名物のお店から、百年以上続く老舗までが揃います。観光に疲れたら、レトロな喫茶店で一休みするもよし。足湯につかるのも一興です。
地元の人々の温かみを感じられるのも箱根の魅力。何世代にもわたって箱根に住み続け、受け継いだ伝統を守りながら、旅人を優しくもてなしてくれます。
全国有数の伝統的工芸品「箱根寄木細工」
何種類もの木材を寄せ合わせて、幾何学模様を作り出す「箱根寄木細工」。箱根が標高800mに位置し、樹木の種類が豊富なことから生まれた文化です。発祥は江戸後期。浜松屋は、寄木細工の技法を生み出した石川仁兵衞が約200年前に創始しました。7代目の石川一郎さん(写真)は、経済産業大臣指定・伝統工芸士のひとり。工場はいつでも見学可能。石川さんが、明るくユーモラスな語り口調で精巧緻密な技法の解説をし、実演も見せてくれます。
創業100年以上の老舗 丸嶋本店の「元祖 箱根温泉まんじゅう」
箱根に温泉饅頭は数多あれど、元祖は丸嶋本店といわれます。箱根湯本駅の階段を下りると、向かい側の正面に丸嶋本店は見えます。創業は明治30年代半ば。かつては箱根町の旅館へ納める和菓子屋として創業しました。3代目の久保寺治郎さん(写真)も、子どもの頃から旅館への配達を手伝いながら育ったそうです。現在、多い時には2万個も焼き上げますが、伝統を守ってお饅頭一つひとつに手作業で焼印をつけています。薄皮のもちっとした食感と、餡子の程よい甘さで、飽きのこない味わいです。「元祖 箱根温泉まんじゅう」は、丸嶋本店を運営する露天風呂が自慢の温泉旅館「箱根水明荘」の売店でも購入が可能です。
健康的な味わいが女性に大人気「山賊粥」
はるか昔、箱根には旅人をもてなす心優しい山賊がいたとか。その山賊に由来して、訪れる観光客をお粥でもてなすのが「山賊粥」です。店長の金城源成さん(写真)によると、お粥に使用している箱根の「嬰寿の命水」には体内の不純物を流し出し、心身を浄化する効果があるそうで、滋味深いお粥で旅の疲れを癒せますように、という金城さんの思いが込められています。
一度は食べたい貴重品「鉱泉煎餅」
富士屋ホテルの近くにひっそりと佇む、川邊光栄堂。うっかり見落としてしまいそうなほど質素な店構えは、名物「鉱泉煎餅」の素朴な味わいを表しているかのよう。宮ノ下の名水と小麦粉・白玉粉・卵・植物油を材料とする「鉱泉煎餅」は、薄焼のぱりっと軽い食感と、ほっとする優しい味わいが特徴。店主の多田須美子さん(写真)の優しい笑顔と相まって、地元でもファンの多い一品です。一枚一枚手焼きのため、1日の販売個数はごくわずか。運が良ければ買える貴重品です。
歴史深き土地、箱根
箱根は、江戸と大阪・京都をつなぐ要衝でした。明治時代になって関所が廃止され、現在の国道1号線の原形となる幹線道路が開通します。更に近代になり小田急電鉄が開通して、交通の至便性が高まりましたが、古くは旅人泣かせの土地だったと言われていました。
それを象徴するのが、鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」です。「箱根の山は、天下の嶮」という歌詞が、険しい山間の急勾配や石段が続く苦しい道のりを表現しています。箱根では、ラジオ体操の代わりに「箱根八里」の曲に合わせて体操をすることもあり、町の人々から親しまれ続ける一曲です。
東海道の要所「箱根関所」と「箱根八里」
江戸と大阪・京都の三都を結ぶ東海道上に設置された箱根関所は、特に厳重な監視体制がとられた関所でした。2007年に箱根関所が完全復元され、役人や足軽が詰めた建物や門を当時と全く同じ位置に設置。芦ノ湖と険しい山道に挟まれ、箱根関所がいかに監視の目を逃れにくい場所かを伝えています。建物の内部も、役人や足軽が座っていた位置、弓矢など取り締まり用の武具の保管場所などを文献に忠実に再現。当時にタイムスリップしたかのような気分を味わえます。
箱根宿を中心とする小田原宿から三島宿間の道のりは、東海道の中でも特に険しく、その距離から「箱根八里」と呼ばれて旅人に恐れられました。
箱根関所/箱根八里
箱根町箱根1番地
箱根関所所長の山内圭さん。復元された面番所にて。
『曾我物語』にちなんだ五輪塔
赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ちと並ぶ“日本三大仇討ち”のひとつ、曾我兄弟の仇討ち。1193年、曾我祐成と曾我時致の兄弟は、父の仇討ちとして、源頼朝が開いた富士の巻狩に同行していた工藤祐経を襲いました。曾我兄弟の仇討ちは、南北朝時代・戦国時代に口承で広まり、江戸時代には歌舞伎の演目「曾我物語」にもなりました。
国道1号線沿いには、「曾我兄弟の墓」と名付けられた五輪の塔があります。2人の墓とされる場所は全国に点在していますが、元箱根のこの五輪の塔は、2つの塔が寄り添って建てられている様子が曾我兄弟を連想させることから「曾我兄弟の墓」と呼ばれ出したそうです。隣に並ぶ低い塔は、兄・祐成の妾であり、2人の物語を広めた虎御前の塔とされています。
曾我兄弟の墓
箱根町元箱根103
1250年以上の歴史を持つ、関東屈指の神社
箱根神社で最も印象深いのは、山の中腹にある御本殿から芦ノ湖に浮かぶ平和の鳥居までまっすぐにのびる石段です。その距離なんと500m。両脇に高くそびえ立つ杉の木が、厳かな雰囲気を醸し出しています。
箱根神社の始まりは757年。源頼朝をはじめとする多くの武士が、心願成就、勝負の神として信仰したとされています。現在も、「箱根を制するものは天下を制す」とも言われる関東屈指の神社です。着実に事業や物事を進める力をもたらすそうで、隣接する九頭龍神社 新宮と合わせて参拝すると、さらにご利益が増すと言われています。
「お休み処 権現からめもち」の五色もち500円(あんこ、きなこ、ごま、のり、おろし)。つきたての温かくて、のびのある餅は、観光客、地元の人々からも大人気。
箱根神社
箱根町元箱根80-1
無数の水の糸が岩肌をつたう「千条の滝」
「千条の滝」は、蛇骨川上流の水が無数の糸のようになって流れ落ちていることから、“千本の糸のような滝”を意味する名前がつけられたといいます。滝といえば、高い場所から大量の水が激しく流れ落ちる風景を想像しますが、「千条の滝」は、25mの幅の岩肌を細長い水が静かに流れていて、清らかな様子が心を癒します。冬は所々に椿が咲き、夏はゲンジボタルが飛び交い、四季折々の表情を見せます。
1880年代、付近に「三河屋旅館」が建てられた後、創業者の榎本恭三がこの滝を発見し、より多くの人がこの滝を訪れることができるように道を整備したと言われています。
千条の滝
箱根町小涌谷507
箱根駅伝の歴史を伝える
①芦ノ湖正面にある箱根駅伝の往路ゴール・復路スタート地点。
毎年正月2・3日に行われる箱根駅伝。1920年の誕生から伝統を守り続け、今もマラソンランナーの憧れの舞台です。2005年にオープンした箱根駅伝ミュージアムでは、出場校のユニフォームや歴代の名シーンを振り返る写真など様々な展示をしています。
展示品の中でひときわ歴史を感じさせるのが、箱根駅伝草創期のランナーであり、戦前から戦後にかけての政治家として有名な河野謙三さんのユニフォーム。早稲田大学の「W」のマークが縫い付けられた綿のタンクトップです。第二次世界大戦中には茶筒に入れて保管され、戦火を逃れるために疎開させながらご家族が大切に守り抜いてきた貴重な品。ミュージアムオープン後に、ご子息から寄贈されました。
箱根駅伝の石碑、記念碑
②「箱根駅伝栄光の碑 若き力を讃えて」のブロンズ像。台座には、第1回大会からの歴代優勝校の名前と記録が刻まれています。
③館長の勝俣真理子さん。年毎のシード校ユニフォームは、専用のコーナーに展示されています。④ミュージアムは、往路ゴール・復路スタート地点に隣接。2005年に開館し、今年で12年目を迎えました。
90年以上の駅伝の歴史を凝縮
⑤ご子息から寄贈された、河野謙三氏のユニフォーム。
箱根駅伝ミュージアム
箱根町箱根167
カメラ/渡邊春信 ライター/吉田彩乃 デザイン/北川原由貴 プロダクションマネージャー/池田大作 スペシャルサンクス/箱根町
箱根・成川美術館の展望ラウンジから望む、芦ノ湖越しの富士山はまるで絵葉書のような美しさ。ラウンジの脇にはNHKのお天気カメラが設置され、空模様と共に変化する富士山の表情が全国に放送されています。写真はご案内していただいた、成川美術館の畑野博之さん。
日本初の本格的なリゾートホテル
士屋ホテルは、創業1878(明治11)年、日本を代表するクラシックホテルのひとつです。箱根駅伝の中継放送にも登場するランドマーク的な存在でもあります。外国の要人御用達として発展し、大正11年には当時の英国皇帝アルバート陛下、皇子チャールズ殿下やその後、昭和に入るとチャールズ・チャップリン、ヘレン・ケラー、ジョン・レノン一家などのVIPも宿泊をしたこともあって、逸話には事欠きません。
「本館の中でも目を引くのが、天井まで柱の高さいっぱいに彫り込まれた白い尾長鶏の彫刻です。ヘレン・ケラーさんがホテルで飼っていたお気に入りの尾長鶏を喪い、悲しむ姿を見て、再び彼女が滞在したときに心を慰めるために彫られたと言います」
エピソードを紹介していただいた広報マネージャーの趙昶賢さん。
富士屋ホテル
箱根町宮ノ下359
都心から1時間半、自然豊かな温泉街
日本有数の本格的登山鉄道
険しい山道を登る箱根登山鉄道は、様々な工夫が凝らされています。最も特徴的なのは坂道でも滑らないように、車輪とレールの間に水を撒きながら走行すること。最も急な部分では3両編成の登山電車で、先頭の運転台と最後尾の乗務員室の高低差は約3.6m。車両の力だけで登る山道の中では日本一の急勾配です。写真右は、箱根登山鉄道の強羅駅長で強羅管区長の大木賢治さん。
新宿からロマンスカーで約1時間半。箱根湯本駅は、山々に囲まれた自然豊かな土地です。春になれば桜が咲き乱れ、秋は紅葉。駅のすぐ傍に流れる早川など、都会に隣接する温泉街とは思えないほど風光明媚な景色に心癒されます。
箱根湯本駅の周りには、近年オープンした最新の箱根名物のお店から、百年以上続く老舗までが揃います。観光に疲れたら、レトロな喫茶店で一休みするもよし。足湯につかるのも一興です。
地元の人々の温かみを感じられるのも箱根の魅力。何世代にもわたって箱根に住み続け、受け継いだ伝統を守りながら、旅人を優しくもてなしてくれます。
全国有数の伝統的工芸品「箱根寄木細工」
何種類もの木材を寄せ合わせて、幾何学模様を作り出す「箱根寄木細工」。箱根が標高800mに位置し、樹木の種類が豊富なことから生まれた文化です。発祥は江戸後期。浜松屋は、寄木細工の技法を生み出した石川仁兵衞が約200年前に創始しました。7代目の石川一郎さん(写真)は、経済産業大臣指定・伝統工芸士のひとり。工場はいつでも見学可能。石川さんが、明るくユーモラスな語り口調で精巧緻密な技法の解説をし、実演も見せてくれます。
創業100年以上の老舗 丸嶋本店の「元祖 箱根温泉まんじゅう」
箱根に温泉饅頭は数多あれど、元祖は丸嶋本店といわれます。箱根湯本駅の階段を下りると、向かい側の正面に丸嶋本店は見えます。創業は明治30年代半ば。かつては箱根町の旅館へ納める和菓子屋として創業しました。3代目の久保寺治郎さん(写真)も、子どもの頃から旅館への配達を手伝いながら育ったそうです。現在、多い時には2万個も焼き上げますが、伝統を守ってお饅頭一つひとつに手作業で焼印をつけています。薄皮のもちっとした食感と、餡子の程よい甘さで、飽きのこない味わいです。「元祖 箱根温泉まんじゅう」は、丸嶋本店を運営する露天風呂が自慢の温泉旅館「箱根水明荘」の売店でも購入が可能です。
健康的な味わいが女性に大人気「山賊粥」
はるか昔、箱根には旅人をもてなす心優しい山賊がいたとか。その山賊に由来して、訪れる観光客をお粥でもてなすのが「山賊粥」です。店長の金城源成さん(写真)によると、お粥に使用している箱根の「嬰寿の命水」には体内の不純物を流し出し、心身を浄化する効果があるそうで、滋味深いお粥で旅の疲れを癒せますように、という金城さんの思いが込められています。
一度は食べたい貴重品「鉱泉煎餅」
富士屋ホテルの近くにひっそりと佇む、川邊光栄堂。うっかり見落としてしまいそうなほど質素な店構えは、名物「鉱泉煎餅」の素朴な味わいを表しているかのよう。宮ノ下の名水と小麦粉・白玉粉・卵・植物油を材料とする「鉱泉煎餅」は、薄焼のぱりっと軽い食感と、ほっとする優しい味わいが特徴。店主の多田須美子さん(写真)の優しい笑顔と相まって、地元でもファンの多い一品です。一枚一枚手焼きのため、1日の販売個数はごくわずか。運が良ければ買える貴重品です。
歴史深き土地、箱根
箱根は、江戸と大阪・京都をつなぐ要衝でした。明治時代になって関所が廃止され、現在の国道1号線の原形となる幹線道路が開通します。更に近代になり小田急電鉄が開通して、交通の至便性が高まりましたが、古くは旅人泣かせの土地だったと言われていました。
それを象徴するのが、鳥居忱作詞、滝廉太郎作曲の唱歌「箱根八里」です。「箱根の山は、天下の嶮」という歌詞が、険しい山間の急勾配や石段が続く苦しい道のりを表現しています。箱根では、ラジオ体操の代わりに「箱根八里」の曲に合わせて体操をすることもあり、町の人々から親しまれ続ける一曲です。
東海道の要所「箱根関所」と「箱根八里」
江戸と大阪・京都の三都を結ぶ東海道上に設置された箱根関所は、特に厳重な監視体制がとられた関所でした。2007年に箱根関所が完全復元され、役人や足軽が詰めた建物や門を当時と全く同じ位置に設置。芦ノ湖と険しい山道に挟まれ、箱根関所がいかに監視の目を逃れにくい場所かを伝えています。建物の内部も、役人や足軽が座っていた位置、弓矢など取り締まり用の武具の保管場所などを文献に忠実に再現。当時にタイムスリップしたかのような気分を味わえます。
箱根宿を中心とする小田原宿から三島宿間の道のりは、東海道の中でも特に険しく、その距離から「箱根八里」と呼ばれて旅人に恐れられました。
箱根関所/箱根八里
箱根町箱根1番地
箱根関所所長の山内圭さん。復元された面番所にて。
『曾我物語』にちなんだ五輪塔
赤穂浪士の討ち入り、伊賀越えの仇討ちと並ぶ“日本三大仇討ち”のひとつ、曾我兄弟の仇討ち。1193年、曾我祐成と曾我時致の兄弟は、父の仇討ちとして、源頼朝が開いた富士の巻狩に同行していた工藤祐経を襲いました。曾我兄弟の仇討ちは、南北朝時代・戦国時代に口承で広まり、江戸時代には歌舞伎の演目「曾我物語」にもなりました。
国道1号線沿いには、「曾我兄弟の墓」と名付けられた五輪の塔があります。2人の墓とされる場所は全国に点在していますが、元箱根のこの五輪の塔は、2つの塔が寄り添って建てられている様子が曾我兄弟を連想させることから「曾我兄弟の墓」と呼ばれ出したそうです。隣に並ぶ低い塔は、兄・祐成の妾であり、2人の物語を広めた虎御前の塔とされています。
曾我兄弟の墓
箱根町元箱根103
1250年以上の歴史を持つ、関東屈指の神社
箱根神社で最も印象深いのは、山の中腹にある御本殿から芦ノ湖に浮かぶ平和の鳥居までまっすぐにのびる石段です。その距離なんと500m。両脇に高くそびえ立つ杉の木が、厳かな雰囲気を醸し出しています。
箱根神社の始まりは757年。源頼朝をはじめとする多くの武士が、心願成就、勝負の神として信仰したとされています。現在も、「箱根を制するものは天下を制す」とも言われる関東屈指の神社です。着実に事業や物事を進める力をもたらすそうで、隣接する九頭龍神社 新宮と合わせて参拝すると、さらにご利益が増すと言われています。
「お休み処 権現からめもち」の五色もち500円(あんこ、きなこ、ごま、のり、おろし)。つきたての温かくて、のびのある餅は、観光客、地元の人々からも大人気。
箱根神社
箱根町元箱根80-1
無数の水の糸が岩肌をつたう「千条の滝」
「千条の滝」は、蛇骨川上流の水が無数の糸のようになって流れ落ちていることから、“千本の糸のような滝”を意味する名前がつけられたといいます。滝といえば、高い場所から大量の水が激しく流れ落ちる風景を想像しますが、「千条の滝」は、25mの幅の岩肌を細長い水が静かに流れていて、清らかな様子が心を癒します。冬は所々に椿が咲き、夏はゲンジボタルが飛び交い、四季折々の表情を見せます。
1880年代、付近に「三河屋旅館」が建てられた後、創業者の榎本恭三がこの滝を発見し、より多くの人がこの滝を訪れることができるように道を整備したと言われています。
千条の滝
箱根町小涌谷507
箱根駅伝の歴史を伝える
①芦ノ湖正面にある箱根駅伝の往路ゴール・復路スタート地点。
毎年正月2・3日に行われる箱根駅伝。1920年の誕生から伝統を守り続け、今もマラソンランナーの憧れの舞台です。2005年にオープンした箱根駅伝ミュージアムでは、出場校のユニフォームや歴代の名シーンを振り返る写真など様々な展示をしています。
展示品の中でひときわ歴史を感じさせるのが、箱根駅伝草創期のランナーであり、戦前から戦後にかけての政治家として有名な河野謙三さんのユニフォーム。早稲田大学の「W」のマークが縫い付けられた綿のタンクトップです。第二次世界大戦中には茶筒に入れて保管され、戦火を逃れるために疎開させながらご家族が大切に守り抜いてきた貴重な品。ミュージアムオープン後に、ご子息から寄贈されました。
箱根駅伝の石碑、記念碑
②「箱根駅伝栄光の碑 若き力を讃えて」のブロンズ像。台座には、第1回大会からの歴代優勝校の名前と記録が刻まれています。
③館長の勝俣真理子さん。年毎のシード校ユニフォームは、専用のコーナーに展示されています。④ミュージアムは、往路ゴール・復路スタート地点に隣接。2005年に開館し、今年で12年目を迎えました。
90年以上の駅伝の歴史を凝縮
⑤ご子息から寄贈された、河野謙三氏のユニフォーム。
箱根駅伝ミュージアム
箱根町箱根167
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- 5L編集部
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