2016年07月27日10時00分
ビジョナリーな人たち 林幸一 MAIN BAR COATオーナー
松本にバー文化を定着させ、クラフトビールをも誕生させた
ホテルマンやバーテンダーのホスピタリティに惚れ込み、サービスの道を志した林さん。現在、専門とするお酒を通じて地元・松本の活性化に取り組んでいます。
林 幸一(はやし こういち)
1967年、松本市生まれ。1987年、仏ホテルチェーン「クラブメッド」が運営する「クラブメッド・サホロ」に入社。1993年に同退社後、修業を積み、1998年にメインバーコートを独立開店。
天井から床まですべて椋の木で統一されたしつらえに、8mもの長さの一枚板のカウンター。英国製のアンティークチェアーや、外国製の家具が並ぶ店内に入ると、外国のオーセンティックなバーに入ったかのような気分になる。「MAIN BAR COAT」に一歩足を踏み入れれば、酒を飲めない者でもカクテルを1杯頼みたくなるから不思議だ。
オーナーの林幸一さんが同店を開店したのは1998年。今でこそ松本は「バーの街」と言われるようになったが、当時はまだ〝黎明期〟。林さんは松本にいち早くバーを開店し、松本のバー文化を牽引してきた第一人者なのだ。
林さんがバーテンダーの世界に足を踏み入れたのは、ホスピタリティがきっかけだった。たまたま訪れた、フランスに本社を置くリゾートブランド「地中海クラブ」のバー。
「そのときのバーテンダーの所作がとても美しかったことや、気配りやサービスが完璧に行き届いていたことが忘れられません。誰かに喜んでもらえるなんて、なんて素晴らしい仕事だろうと、感激してしまいました」
店を出ると、そのままの勢いで地中海クラブに電話をかけ、求人がないか確認した。偶然にも北海道のホテルのメインバーに欠員があり、とんとん拍子でことが運んでいった。
地中海クラブのバーで7年勤めるうちに、林さんは少しずつ洋酒の世界にも惹かれていった。バーテンダーとしての実力を高めたい、という思いから、世界最高技術賞受賞のマスターのもとに弟子入り。3年が経った頃、師匠から「志したからには一流を目指しなさい」と独立を促された。そうして開いたのが、「MAIN BAR COAT」だった。
独立と前後して、林さんは数多くのバーテンダーの大会に出場し始めた。
1997年にはロンドンで行われた大会に日本代表として出場。2000年には第28回全国バーテンダー技能競技大会で総合優勝を果たした。着々と腕を磨いていった矢先の2001年、WCC ワールドカクテルコンペティションスロベニア大会への出場が林さんの人生の転機となった。
「競技中、あるトラブルが起きて、入賞を逃してしまったんです。自分の力を十分に発揮できなかったことがとても悔しくて、大会後にいろいろなことに思いを巡らせた。そしてたどり着いたのが、これまでは自分のためだけに頑張ってきたけれど、これからは松本に恩返しがしたいという気持ちでした」
松本でさらにバー文化を発展させるために、アイリッシュパブを開くのはどうか。そう思いついたとき、20代後半の頃に訪れたイギリス北部のアイリッシュパブの風景が甦った。
「街からは少し離れた田舎の道にポツンとパブがあったんです。そこでは人々が昼間からのんびりとビールを飲んだり自由に過ごしていて、ゆったりとした時間が流れていました。日本にもこういう文化を広めて、人々の心が豊かになればいいなと思ったんです」
スロベニア大会から2年後の2003年、林さんは「MAIN BAR COAT」の裏に「パブリックハウスオールドロック」を開業。輸入メーカーに、ギネスの生ビールを仕入れたいと申し出たところ、
「無理ですよ、と、メーカーさんに一蹴されました。生ビールを販売するなら、30リットルの樽を3〜4日で売り切らなくてはいけないけれど、松本市内では難しいだろうと言われました。でも、私は絶対に妥協したくなかったんです。松本の人々に本場と同じ雰囲気を味わってもらうために、本物を出したかったんです」
普段は温厚、かつ控えめで、完璧なバーテンダーの林さんだが、このときばかりは声を荒げたという。
「何を言ってるんだ!と、メーカーさんを一喝しましたよ(笑)。もし生樽をさばききれなかったら私が全部飲むから、とにかく仕入れるんだ!って言い張ってね」
徹底的に本場の様式にこだわり、内装に使う材料も、自分でイギリスからコンテナで運んだ。席料はとらないシステムにした。林さんの熱い思いが伝わり、なんとギネスなどの樽生ビールの販売量は、年間2万リットルの売り上げを記録するようになったのである。
『松本ブルワリー』が発売する「マツモト・トラディショナルビター」は英国でもっとも愛されているスタイルのビターエール。今年4月に松本城で開催した「夜桜BAR」でプレリリースされ、好評を得た。
巷でクラフトビールが流行ってきた2014年、林さんは「ビアフェス信州クラフトビールフェスティバルin松本」を松本城公園で開催。この頃には、地域の事業にも積極的に参加し、自分の店以外にも活動を広げるようになっていた。
「ところが、肝心の松本市内で作られているクラフトビールというものがなくて、他の土地のクラフトビールを紹介しているだけだったんです。それではやはり寂しいということで、今年1月に『松本ブルワリー』という会社を設立して、松本のクラフトビールの開発をすることにしたんです。今はまだ醸造所が完成していないので、他社にクラフトビールの醸造を委託している状態ですが、これから自分たちの醸造所を完成させて、開発から生産まですべてを自分たちの手で行えるように計画を進めています」
こうして、松本初のクラフトビール「マツモト・トラディショナルビター」などが完成したのである。松本のバー文化の草分け的存在から、クラフトビールの開発者へ。林さんの勢いは、まだまだとどまるところを知らない。
木村の視点
わがマチに帰ったマチビトは、地球的な視点を持ちながら、わがマチの独自なるものである「場の力」を磨きたいと思うという。そのマチの自然や歴史、そしてそこに暮らす人々、それらのわがマチが持っているエキスのようなものを抽出しようとする。「場の力」は、そのエネルギーに気づいた人だけに力を貸してくれるというが、林さんはまさにその一人であったということなのだろう。愛するわがマチの誇りや、オリジナルなものを、「インター・ジャパン」という視点から、もう一度見直してみようという彼の試みは、まさにビジョナリーそのものであるといえる。オーセンティックな設えの店内で、カウンター越しに見たシェーキングする林さんの姿の美しかったこと!「ああ、酒さえ飲めたら松本に通いつめるんだけれど……」、この時ほど下戸であるわが身を恨めしく思ったことはなかった。
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- 5L編集部
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